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目的地はどちらで?


2025.06.21

私はこういう思想を持っていますよと周囲に明かすことで自分を取り繕っている。

本当は魅力も知能も才能も、なにもかも、なにもかもない人間であることをなんとか隠したがっている。

それは、自分からも。

明けてほしくない夜もある。

疲れているのに、寝てしまえば夜が明けてしまうことを思えば寝ることができない。

散々聞いた言葉ではある。

日記を投稿した直後なのに、新たなタグを使って、またしずかなインターネットを書き始めている。

なぜそうしたか分からないが、そのくらい自分の気持ちを吐き出したかったのだと思う。

こういった言葉を吐き出すと、毒を逃すような錯覚に陥る。

だけど、それがほんとに逃がせているのか分からない。

ただ毒を周りにばら撒いて、感染者を増やしているだけかもしれない。

ちょうど一年前、私は似たようなことを言った。

そのときには、最後に「誰が言うでもなく優生論に私を当てはめる」と書かれていた。

劣等遺伝子といったところだろうか。

まあたしかに劣等だろうが、一方で私とそれ以下を処分すれば相当な人口が減りそうだと思う。

このように自分をある程度まともな測りで見ることができるようになったのに、なぜまだ自己嫌悪に襲われるのだろうか。

周りの人が何かをできる、何かを成し遂げているのが苦手だ。

それ自体は喜ばしいことだけど、自分は何もできていないのではないかと、彼らに反射して映る自分の姿がみすぼらしく見える。

あー。

言語化、飽きてきた。

苦しみを言語化するのは苦手だ。

検索窓には「死にたい」しか打てない。

それが解決法ではないのが分かっていながら、それを望むしかないことがどれだけ苦しいことか分かるものか。

転生、転生、転生。

そんなものはない

そんなものはない

そんなものはない

そんなものはない

そんなものはない

生きているうちに宗教はない。

多分、死んだ後にも。

都合のいい幻覚を見て死にたい。

死ぬことは目的ではない。

上手く生きれないから、上手く生きられるところに行きたい。

逃げたい、ずっと逃げてきた。

逃げた先が行き止まりだった。

努力しろ努力しろ。

努力で変わらなかったときお前はどうする?

偶像の顔が見えてしまったとき、誰も超越しない。

死も正解ではない。

底なしの穴に飛び込むことは逃げたことにはならない。

どちらにせよ、自由はない。

だから嘘をつく。

嘘が偶像になればいいなって、どんどん曖昧にしていく。

創作は暴力なんだ。

人を殺すのと嘘をつくことの何が違う?

どうせ騙されているだけじゃないか。

その場で逃げているつもりでも、それは追いかけてきている。