視覚思考者に語彙を与える
2025.07.23
今日はビジュアルシンキング、視覚思考について話したい。
視覚思考というのは、多分『ビジュアル・シンカーの脳』という本で提起された概念。
人の思考には、言語で思考する「言語思考」、具体的な映像(絵や写真や動画的イメージ)で思考する 「物体視覚思考」、パターンと抽象的な概念(図など)で考える「空間視覚思考」の3つがあるそう。
そして、ほとんどの人はこれらのグラデーションを持っており、言語思考と視覚思考を組み合わせているらしい。
私の思考がどのように成り立っているのか考えたい。
視覚思考と言語思考というのは、これらの日記で、イデアと自動書記という表現で近いものを語っている。
2025年06月09日 - 言語より人間であれ!|yusquid1,669字sizu.me ↗2025年06月14日 - 正直な話、自分が好きだ|yusquid2,057字sizu.me ↗これらの文章によると、私は空間視覚思考が優位だったけれど、文章を書くことを通して語彙力や文章力が発達するにつれ、言語思考ができるようになってきたということだと思う。
昔から割と、頭の中の空間にメモしたり、途中式を書いたりとか得意で、ビジュアル的な構造で理解したい派だった。
一方で、絶対物体視覚思考には向いてないな~と思う。
映像を想像するどころか、色を想像できない。
絵描ける人って、なんで存在しなかったものを書けるんだろうっていつも思ってる。
物体視覚思考と、巷で言われる「創作性」っていうのはかなり結びついていると思っていて、これが優位な人ほど、ゼロからビジュアル的な創作物を生み出しやすいのではないかと思う。
でも、こういった思考は、既存の創作物を沢山見て思考してみてと繰り返すことである程度は鍛えられると思う。
過去のツイート。
(感じる→感じたものの)イデアを想起する→関連する記号を考える→記号を言語化する→言葉を整理しながらアウトプット
思考を順序化するとこうだと思う
記憶の中にある画像から文字情報をとってきたくて思い出そうとしてるときとか分かりやすいと思う
感じたものについて考える時は括弧がつく
語彙が増えたことによって、視覚思考を言語化するプロセス中なのに、先に言語思考の方が次に来る言葉を予想してどんどんと繋げていっちゃうから、視覚思考がぼやけたものになって、言語思考優位になっている気がする。
やっぱり私は、言語で思考してしまうと、シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の関係を生んでしまって、世界を記号で捻じ曲げてしまうと感じている。
世界というのは、何かの分類がある訳でもなく、ただ存在していて、記号によりそれを定義して隔てていると思う。
こうした分類の中で、思考者が見ている世界が、言葉によって違う風に分割されてしまうことがある。
無学だから軽々しく引用するのも良くないかもしれないけれど、こうした世界の見方は、イデア論に少しだけ近いような気もする。
ふと思い出したのだけれど、これは昔、私がその場の思い付きで作った架空の宗教哲学の主張と奇妙なほどに一致している。
常世に本当の「存在」があり、現世はそれの偽物、虚在だと…ほんとに3秒くらいで考えた適当な設定なのに、めちゃめちゃ一致してるの面白い。
少し脱線したけど、言語思考が発達してきて困っていること。
最近忘れっぽくなったり、思考の速度が遅くなってきた気がする。
これが言語思考と関係しているなんて思わなかったけど、今書いててもしかしたら関係あるのかなって思った。
どういうことかというと、「今何しようとしたんだっけ」みたいなのは、言語の中で「今から○○しよう」と思ってるから、他の言葉に流されてしまうんじゃないかということ。
今までメモは頭の中の空間にホバーしていたから、常に見えていて、忘れることが少なかった。
思考の速度が遅くなった気がするっていうのも、他の言葉に流されてしまうという状況に近い。
さっき言ったように、視覚思考をなんとか言語化している途中なのに、言語思考も働いているから、気を抜くとそこから生まれる言葉に気をとられてしまって、視覚思考がぼやけて見えなくなってしまう。
国語の成績はめちゃ伸びたけど、これは困る。
頭の中にある言葉の量に対して、受け取れる言葉の量が追いついていないんだね。
言語思考によって視覚思考の機能が制限されていて困るっていう話をしてきたけれど、これは逆にもっと語彙力をつけることで解決できる話なのではないかと思っている。
写真の解像度が上がるほど、現実の描写に近づくように、語彙を増やして、世界の変換力を上げることができるんじゃないかと思っている。
先週、lIlIlIlIlIlIlIlと意志・理性論(仮)について話したときに感じたけれど、私は視覚思考をなんとか言語に落とし込んでいて、おそらく彼はそこから私の視覚思考を復元して読み取ったのだと思う。
sizu.mesizu.me ↗お互い拙い語彙力とジェスチャーで会話していたけれど、もっと語彙が発達できれば、言語を解像度の高いコミュニケーション媒体として使うことができるかもしれない。