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モラリティ


2026.01.22

小学校って、その年齢特有の無垢さとか生ぬるさがあって、よかったなあ。

みんな大人になっていくにつれて意地悪になっていって嫌になるよ。

理想論なのかもしれないけど、お互いが傲慢でなければ恨むこともないと思うんだよな。

SNSで関係ない人の投稿を無視できずにアンチコメを書いたり、改札で前の人が詰まったからキレたりみたいな、それって無視する寛容さがないと思うんだよな。

私はこれを「真顔の精神」と呼んでるけれども、何かあったときにすぐ反応せずに真顔でいるっていうのは冷静さを保ち無意味な対立を防ぐために大切なんじゃないか。

むしろ、すぐキレる人は、周りに自分の不機嫌をアピールすることが正しい対応だと思い込んで、癖になってる気がする。

私は負の感情を共有することは基本的に面白くないエンタメだと思ってるんだよな。

例えば大阪のMBSには「憤マン」という名前のテレビ企画があるけれども、わざわざ誰かの怒りを共有されても困るというか、共有されること自体に苛立ちを感じる。

多分、誰かが怒っていることに対して共感する力が少ないんだろうな。

だから愚痴とか聞くのすごい苦手で、いつもおもんないし早くおわんないかなと思ってる。

そういう意味で私はゆとりがあると思うし、そこは強みだと思う。

私は無意味な意地悪はしないから(いじりくらいはするけど)多分優しい方だと思う。

だから逆に、急に人の意地悪さを浴びてしまったときに自分の世界観からしたら想定外すぎて、受け入れることができなくて、物凄く悲しんでしまう。

そう考えると、私はこの悪口が自然に飛び交う世界に向いてないと思う。

インターネットのせいで極端な言いようが面白いとされ、悪口も先鋭化してきた。

インターネットで文面として見る分にはインターネットジョークとして無視できるけど、対面で乾いた笑いと共に向けられると、耐えられないと思う。

最近は「冷笑」っていうのが流行ってるよね。

私は冷笑という界隈自体が他文化を受け入れられずに馬鹿にするという単一的な対応しかできないもので、一番冷笑されるべきだと思ってるんだけど、それはさておき。

冷笑というのは私が嫌いな意地悪さを単純に具現化したようなもので、最も苦手かもしれない。

なぜ無意味に人を嘲笑う必要があるのか、本当に分からない。

無視すればいいものをここぞとばかりに取り上げて、本当に悪質だ。

ここまで述べてきたことからすると、私は無意味な意地悪が苦手なんだ。

無視できるものを無視せずに嘲笑う、馬鹿にする、そういう態度が意地悪だ。

だってインターネットの投稿なんて一方的に流れてきたものなんだから、リプライ・引用しなければいいだけの話でしょう?

そういうものはエンタメとしてやっているのだろうけど、数あるエンタメの中から人を馬鹿にすることを選ぶのは愚かだ。

多分、冷笑界隈からすれば私がやってるような執筆や馴れ合いは生ぬるく、馬鹿にすべきものなのだろう。

でも殺伐とした冷笑よりも、安心感のある馴れ合いの方がずっと良い気がする。

ずっと理想論なのかもしれないが、世界に十分な優しさが生まれてほしい。

性善説を信じたい。

ただ、ここで人を馬鹿にする人の愚かさを指摘することの問題点として、それは人を馬鹿にする人を馬鹿にすることになっているかもしれない。

人を馬鹿にするべきでないと言うならば、人を馬鹿にする人のことも馬鹿にすべきでないので、態度には気を使うべきだ。