本文へ移動
← Log

性別をなくすという考え方


2025.12.20

性別が意識される社会って生きづらいなあっていつも思ってる。

毎日誰かから性別によって分けられて偏見を受けているし、自分自身からもそうだ。

性別は生物学的な性と精神的な性に分けられると思ってて、精神的な性はさらに社会的な性と自認的な性に分けられると思っている。

GIDとは、社会的な性と自認的な性が一致していない状態だと考えている。

社会的な性別とは、これまでに人々に決められてきた性の履歴だと思う。

男性として接されてきたら社会的な性は男性になるし、女性として接されてきたら女性になる。

この社会的な性は、環境によってリセットすることができる。

これがいわゆる「埋没」だ。

例えば、大学という社会においてその人が女性として扱われたら、女性になる。

私はこのシステムがどうも嫌だなと思う。

生物学的な性による分類は制度上必要な場面が多いと思う。

でも、人間関係や態度まで性別によって変える必要はないのではないか。

誰もが男はこうだ、女はそうだと、社会の上で男女を分類している。

私だってその流れを自分の中に持っていると思う。

ただし、この「社会的な性」という概念はある程度矮小化してもいいと思っている。

どこまでが生物学的な性で切り分けるべきで、どこまでが社会的な区分だとして廃止していくべきかは、実に難しいところで、これが対立を生んですらいる。

ただ、私は少なくとも単純な人間関係の上では、男女を気にしなくてもいいじゃないかと思う。

誰かが私に性別を定義する度に私は中性(未定義)ではなくなってしまう。

そのたびどうしてもむず痒いような気持ちになってしまって、投げ出したくなる。

私は、自分に対して「男/女なのに〇〇なんて」と思いたくないのだ。

偏見を押し付けられる度、自身に偏見を押し付けてしまう。

私は、社会的な性別なんてなくていいと思っている。

そこに身体的な性別を持った人がいて、その人の社会的な性別は、その人らしさでいいんじゃないかと思う。

結論にしてしまうと、なんともリベラルで急進的に見えるが、そんな突飛なことを言いたいわけでもない。

むしろ新たな性別を認めようという方が突飛だと思う。

“ジェンダー”という考えは、なんでもかんでも性別として取り込んでしまうのが問題だと思うし、それにあやかって変態を認めさせようと思うのも問題だ。

ジェンダー〇〇的なスローガンは、むしろ性別を意識させることになって、達成できないのではないか。

だからまず性別という枠を投げ捨てる、という考え方で生きている。

私はそうして自らを露出させていきたいのだけれど、そうするぞと思っても社会に出たら1秒で性別に分類されてしまうでしょう。

だから1の努力では変わらないのです。

ジェンダー〇〇的なスローガンは、むしろあからさまな変態をアピールすることで、ほんとに悩んでいる人を生きづらくさせたと思う。

本当にすべきことは、特殊な性別も認めましょうではなく、性別をいやに意識するのをやめましょう、だ。

これは人類が今まで広範に成し遂げれなかったことで、かなり難しく、数百年かかると思う。

でも、この考え方で生きることで、個人に対する偏見を減らすことができ、よりその人と向き合えるのではないか。

また、広範な社会で一気に実現することは難しくても、小さなコミュニティなどの単位なら、できると思うし、もう達成しているところもあると思う。

プロフィールとして認められている大きな偏見に立ち向かい、それをなかったことにするのは、多大な精神力が必要だと思う。

何度も何度も自己嫌悪に陥るし、生まれてこなかったらよかったと思う。

でも、私は私の性別を、より正確には私の性別による偏見を無くしたい。