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社会的表現と意志


2026.03.30

昨晩出した記事はどうにも気持ちが落ち着かなくてそれを文字として、インクを紙で集めるように移したくて、ああいう形になった。

とはいえ、ちゃんと自分なりに言いたいことはあった。

最近、昨日みたいなどうにも落ち着かない時があって、それをどうにか吐き出したいのに言葉が見つからないという悩みがある。

きっと感情とはもやのようなもので、正確に形を捉えるのが難しい不確定なものなのに、言葉とは数次元でマス目が荒いパラメータだから表現の近似の精度が悪いんだと思う。

もっとも、これは多くの害を知っていたり、使い方を知っていると精度は上がるとは思うんだけどね。

言葉は音声や文字として物理的な実体を持っているし、喜怒哀楽という次元の捉え方をしても、文字種という捉え方をしても低次元だ。

そして、昨日みたいに落ち着かないときは体を動かしたくなるが、それでもうまく表現できない。

それは同じく、XYZの低次元しかないからだ。

これを意志理性論の拡張として捉えると、意志・理性・社会の三層のうち、理性と同層の部分に表現体(身体・言語など)があると思う。

意志的には、意志を社会に伝えたいけれど、そのままでは伝えることができない。

なので表現体というコンバータが必要で、それにより社会に伝えることができる。

ただし、表現体は社会的表現なので、意志という言語を正確に翻訳・近似できない。

そこが表現するときのもどかしさなんだと思う。

これ、問題なのは表現体の言語は社会的であるということで、意志を表したいのに社会的表現を学ぶ必要がある。

出来上がった創作物は意志というコンテクストがあるから意志のようにみえるけれど、材料は社会から作られているのである。