世界が
2025.08.20
私は苦しみをアイデンティティにしていないので、その点では健全な生き方をしていると思う。
私は、自らの考え方にアイデンティティを見出している。
外見はこれからだな。
もちろん、その考え方だって他人が何度も考えたことであるのは分かっているけれど、それを自分で見つけた、その辿り着き方こそが人生だと思ってる。
苦しみをアイデンティティに思っていた頃は、それを否定する者や、そんな苦しみを持っていなさそうな人に攻撃的になっていた。
今も、自分の考え方を端から否定する人がいたとすれば嫌だけれど。
人って、寿命が決まってる分、その中で成し遂げれること、成し遂げるべきことって決まっている気がする。
寿命がなければいつまでも錬金術を諦めれない老人ができてしまうし。
ダ・ヴィンチみたいな多才な人もたまにはいるけれど、何かを研究したい思いのある人は、人生のいつかのタイミングで、自分のやるべきことを見つける気がする。
なに、遅すぎることはない。
中3くらいの自分は、社会における自己表現を課題に感じていた。
それを考えた果てに思いついたのが、宗教的思考による行動の自動化。
これには私が規則性を愛しているあまり、人間らしい、自分らしい選択をできなかったという事情がある。
今は、その宗教的思考が言語によって運用されているという考えで、社会で生きる上でその思考を使いつつも、社会の外では「言外の思考」を重視する必要があると思っている。
何度も話したことか。
この言外の思考は、私たちを解釈の世界から解放すると思っている。
人間はずっと、世界を世界そのものとして見ていない。
動物もそうだけど。
とにかく、とうもろこしを見て、「とうもろこしだ、美味しそう」と思うのも、学校に通うのを、教育のシステムを表面だけでも理解しながらしているのも、全部解釈しているからだ。
これは生物がその営みを維持するために必要なことだが、人間は言語を発達させすぎた。
世界の解釈に言葉を乗せたら、言葉が勝手に喋り始めてしまった。
世界が言葉に置き換えられてしまう、思考が言葉に置き換えられてしまう。
そうして本当の世界が、本当の思考が見えなくなるのが怖い。
言葉は社会でできている。
思考が言葉に支配されたら、ただ社会的なだけで、そこに自分は無いように思う。
それにしても、昔の自分は何か背負いすぎていた気がする。
何を背負っていたんだろう。
とにかく、何かを背負って、その中で必死に動いているような文章を書く。
見ていて少し怖い、重油の中を泳いでいる気分だって。
そうだ、昔の文章を見ていて思い出したのが、パプリカのシーン。
以下は悪夢を見たあとの私のツイート。
いっつも勝手に動くので、世界を滅亡させそうになるけど、みんなありがとう
目と1/4
知らない絵をどでかく書くくらい自分はおかしくて、それを伝えるためにどころかに筆を置いたのが始まりで、次も何も伝えれていない
怪文すぎる
いつも掛け算の範囲に巨大な自分を含みそうになって、それに気づいた時にもう計算が始まってて、世界に収まらないから世界が壊れちゃうの
目と1/4は、ちょっと何が言いたかったのかわからない
パプリカの中に、夢の中で巨大化したキャラが困惑しながら動こうとするシーンがあって、このツイートを思い出した。
「掛け算の範囲に巨大な自分を含みそうになって、それに気づいた時にもう計算が始まってて、世界に収まらないから世界が壊れちゃう」とは、良い表現だ。
私が悪夢を見るとき、それは無限恐怖症と巨大恐怖症の具現化みたいなもの。
宇宙の中にぽつんとある家だったり、巨大な迷路だったり。
それを見たあと、巨大な自分が納まらなくて世界を壊してしまうと直感的に感じて、強い恐怖に陥る。
それが夢だと気付いて、早くベッドを作って起きなくちゃ(マイクラのやりすぎ)とか思うときもあるし、起きてもその感覚が続いて、全世界が壊れてしまう!と悶えているときもある。
あれは物凄く怖い。
全世界が壊れてしまったら、私は無に取り残されてしまう。
あれは、直感的な死への恐怖なんだと思う。
それを今敏も見ていたのかなと勝手に思った。
アメリカ民謡研究会も「幼い頃の風邪を曳き続けている」って良く言うし。
よく、インターネットではカラフルで非現実で不気味な映像などに「インフルのときに見る夢」って言うけど、あれを言ってる人ってほんとにあんな夢を見てるの?
私がインフルになったときは、先に言ったような巨大と無限と無に対する恐怖の夢しか見たことがない。